久々のキス釣り、、に思うこと
数日前は雪で一面真っ白だったのがウソのよう。
予報通りに晴れて気温も上昇した。
一週間前の予報を信じて県外の友人と釣りに行く約束をしていた。
釣り場は双方の中間地点。この時期になるとキスが釣れる場所はここしかない。
車を駐車場に止めて、小型の折り畳み自転車を降ろして、クーラーボックスと竿ケースを担ぐ。そこから10数分自転車をこぐ。朝7時の気温はまだ5度だ。5時半に起きた時は真っ暗で出かけるときはもっと寒かったはず。しかし、好きなことをやる時は不思議と寒さは感じない。釣りをしない人はきっとあきれるだろう。
さて、現場に着く。竿を継いで、ライン(糸)を通し、錘を付けてちょい投げして糸を湿らす。自作の仕掛けに餌を付け、エイッと100mほどキャスティングする。腰痛の回復からあまり時間がたっていないので無理は出来ない。
そして、少しずつ巻き上げる。海底の変化をラインを通して感じながら。
ブルッと竿全体が震える。そしてもう一度。間違いない。掛かってくれた。久し振りの感触。しかも、小さくない。待たずに巻き上げる。やがて水面から姿を見せる。一投目から良い型だ。連続8投ハズレなし。友と共に喜びを分かち合う。最高の釣り日和。
興味ない人にはなんのこっちゃとか、単純だなって感じかも。それでもいいのだ。
今年は忙しかった。何度も誘いを断らねばならなかった。大きな仕事を一つ終えて解放感にひたりながら、真っ青な広い海に向かって、仕掛けを投げ込みしばし魚と戯れる。こういう世界を持てることは一つの幸せだと思う。
今日の連れとは昨年の秋に釣り場で紹介されて釣り友になった。還暦を過ぎて趣味を通して友ができる。これも幸せなことだ。別々に釣りに行ってもLINEで釣果の報告。自慢の結果は写真を貼り付けて。
人は日々、いろいろな問題、課題を抱えて生きている。辛くて逃げたいとか、苦しみがなくなったらどれだけ楽かなどと妄想する。でもこれらがなくなったら生きる意味すらなくなるのではないだろうか。生きているというのはこういうものとセットなのだ。
しかし、こういうものに押しつぶされてしまっては元も子もない。ここに生きる知恵というものが必要になる。息抜きや休息は不可欠だ。自分に合った何かを見つけることが必要だ。他人は与えてくれない。くれても役立つとは限らない。
この時、人の目など気にしてはならない。自分が単純に楽しめるもので良いのだ。それが一番なのだ。
私は欲どうしいので実益のあるものを選んでしまった。この手は悪くない。
キスの天ぷらや昆布締めなどは普通の人は食べる機会は少ないと思う。実に旨いのだ。釣り人の特権だ。
ついでにもう一つ。冬場のキスは特に美味しいのだ。