おっさんブログ

60代おっさんの興味本位をつづります

究極の鼻水対策

 きれいな話ではないが、毎年、この時期になると鼻水が止まらない。

特に、起き掛けだ。30連発、時に50連発となる。

かんだ後からダラダラと(失礼)。そして鼻も痛くなる。

 

ティッシュひと箱が3日と持たない。屑籠がすぐに満タンになる。

で、苦肉の策としてティッシュペーパーを剥がして一枚使いをする。

これだと確かに消費は減る。

 

でも、これは真の対策ではない。

 

家内がジムで耳寄りな話を聞いてきた。

鼻の穴を洗浄すると効果があるというのだ。

ネットを調べるとなるほどいろいろ書かれている。

主に、容器と洗浄液がセットでそこそこの価格だ。

 

洗浄そのものは試して損はなさそうなので、先ず道具を探した。

ネットで売ってもいるが、何か割高に感ずる。

 

で、100円ショップへ行ってみた。

買ったのはこういうものだ。上からプッシュして液を出す。(液については後で触れる)

f:id:hyperm88:20170607114505j:plain

しかし、これだと当然ながら押すたびにノズルが動いて安定しない。

それと穴との間に隙間が出来て漏れるのだ。(今、これは液作りに使用中)

で、家の中を探したらこんなものがあった。

                     

f:id:hyperm88:20170607114610j:plain

家内が母の日のプレゼントで、息子の嫁たちからプレゼントされた花を、長持ちさせるため霧吹き用に使っていたものだ。

このノズルの先が鼻の穴にピッタリとくる。

 

洗面台の上で、顔を横に向けて、上の穴から霧状の液を吹き込む。

しばらく続けると、反対の穴から液が出てくる。

これだけだ。これで洗浄されているのだ。

 

そして、翌朝。

鼻が出ない!

何かを忘れている感覚があって、何だろうと考えると鼻をかんでいないのだ。

効果抜群!! こんなに効くものってある??

長い間、苦労?していたのがバカみたい。

 

出てなかったけど、だめ押しで夜もやっておこうと思ってやってみた。

ダメ押ししなきゃよかった。

翌朝は、量は少ないがまた出てきた。10連発ぐらいだったか。

 

聞いてみたら、続けることで完治?するらしい。

 

最近は全くでない日が多い。私の場合は特に効果が大きかった。

ちなみにこの方法は花粉対策や風邪の予防にも効果があると記されていた。

 

さて、洗浄液だが、いろいろ売られているが基本的に塩水で良いのだ。

正式呼び名は生理食塩水。

塩の量は2リットルの水に18グラムと書いてあったのでそれを参考にした。

 

そんなにたくさん要らないので、400ccに2グラム入れた(間違ったのだが)。

それでも効果はあった。でも最初だけ鼻の奥が痛かった。

これは薄かったからかもしれない。水だけだと痛いようだ。

で、最近は400ccにしっかりと4グラム程度入れている。

 

私は最初、いい加減にやったが、ちょっと長めに丁寧にやった方が良いと思う。

それでも片方1分程度だが。

 

解決方法というのは探せば、そして諦めなければ必ずあるものだ。

 

今回またそのことを再確認した。

 

 

ブラウンシェーバーの電池交換

10年以上使用したシェーバーの電池がいよいろ終末を迎えた。

充電しても次の一回でまた使えなくなる。暫くは充電コードを付けて使っていたが、コンセントへの抜き差しが面倒だ。

 

最近、電池交換付いているが、これもできるのではないかと思ってネットを検索した。

やはり、先駆者は居るのだ。それじゃと分解し始めた。

 

意外と簡単。お尻のネジを二本緩めてヘッドの部分を引き抜く。

ここはちょっと力仕事だが、ネチネチとやっているとやがて抜ける。

こんな感じだ。

f:id:hyperm88:20161224111917j:plain

 

電池ははめ込みになっている。マイナスドライバーで少しこじってみると直ぐ取れた。

端子形状はピン型になっていて特殊です。(市販はされていないのでは?)

f:id:hyperm88:20161224112100j:plain

 

ここまで出来たので、すぐ近くのホームセンターまで電池を買いに行った。

買ったのはこれ。

f:id:hyperm88:20161224112140j:plain

これで直ればもうけもの。

 

帰って早速取り付けた。

f:id:hyperm88:20161224113444j:plain

そして、電源コードを繋いでみた。

でも充電ランプが(というか基盤に付いている3つのランプがすべて小刻みに点滅するだけ。

 

あれっ、だめなのか?

で、元の電池をはめ込んでコードを取り付けると、充電用の緑のランプだけがしっかり点く。

 

この電池じゃダメ?と思って、一本外してランプを見ると同じように点滅している。

電池を認識していないのだ。つまり、十分に接触していないのだ。

電池ボックスの端子を内側に少し折り曲げた。そして、再度電池をセット。

 

OK ! 充電ランプが点灯した。

f:id:hyperm88:20161224113521j:plain

元々、付いていた電池とは端子形状が異なるので、このやり方の接触は充分ではない。

しかし、充電さえ出来て使えたらいいかとこのまま組み立てを完了した。

 

決してお勧めは出来ないが、こんなやり方でもできないことはない、という程度の参考に。

 

もう一つ。先駆者の方も書いておられたのでそれに倣います。

充電終了の緑のランプが消えるか(私のタイプは終了すると点滅が点灯に変わる。タイプにより異なるようです)をしっかり確認する必要があります。さもないと過充電で危険なことになる可能性があるそうです。

通信制大学のすすめ(2)

通信制大学にはいろいろな人が入ってくる。

若い時に大学に進めなかった人、卒業した大学に満たされないものを持っている人、経済的な理由で通学制に行けなかった人、現役のお医者さん、東大を卒業した人などなど。色々な人がいろいろな目的をもって入ってくる。

 

通信制の大学を卒業して、東大の教授をなっている人もいる。卒業後もいろいろあるようだ。

 

通信制の大学は通学制のような入試はない。しかし、選考はあるのだ。だから誰でも簡単に入れるわけではないようだ。私の時代でも4000人程度の応募があって、3000人程度がふるい落とされているという話を聞いた。私の周りでもは入れなかった人は何人かいる。

 

こんな話も聞いた。学校の先生が5人、学び直そうと決めて一緒に応募したが許可されたのはそのうち一人だけだったそうだ。選考基準に達していなかったことになる。

 

それがどのようなものかは分からないが、提出する小論文などはそれほど難しいものではない。でもそれらの課題からある程度入学を許可するに値するかどうかの判断ができるのだろう。

 

それだけ絞っても、無事入学して卒業に至る人は数パーセントのみである。難しい入試を突破すれば殆どが卒業できる通学制とは大きく異なる点である。入るは易し、出ずるは難しなのである。

 

どこからか、やはり入試がないので能力に問題ある人が多いのでは、という声が聞こえてきそうである。断じていえる。それはない。私も多くの一流大卒の人を見てきたが、彼らと比較しても入学を許可された人に能力的な問題のある人は殆どいない。

 

何が難しいのか。仕事と両立させながら、また、家庭を維持しながら、独学で学び続けるのが難しいのである。このことは教授陣もよくご存じのようで、時々、「私も通信制を卒業する自信はない」と冗談交じりでおっしゃられる。

 

もう一つの難関はスクーリングである。いわゆる対面授業。実際、教室に赴いて授業を受け一定単位(卒業単位の1/4程度)を取得せねばならない。主に学校の夏休みを利用して、教室を開放して行われる。ここで通学生が受けるような講義を受け、最後に行われる試験に合格する必要がある。試験もさることながらこの授業に参加すること自体が仕事との関係で難しい人がいる。

 

最後の難関は卒論試験である。一年半程度の指導を受け(もちろん内容そのものではなく、テーマ選びや研究姿勢、やり方など)、卒業論文を仕上げた後、後日その内容についてプレゼンし、質疑応答が行われる。この試験は不合格になっても一回のみ再試験のチャンス与えられる。が、二度失敗すれば卒業は諦めねばならなくなる。

 

私の時代のことを記しているので今は変わっているかもしれない。

通信制の大学を勧めておいて、同時に、卒業の難しさを伝えている。しかし、決して矛盾ではない。経済的理由で通学制大学に進めないなら、入るのが楽そうな通信制でなどと思ってもらってはいけないからだ。そして、諦めず頑張れば一流大学の教育を受けられ、卒業証書も得ることが出来るということを知ってほしいのだ。

 

今の時代、SNSが発達して以前のように孤独に学ぶという辛さはかなり軽減されていると思われる。直接会って語り合えるのはスクーリングの時しかないかも知れないが、もっと頻繁にネット上で交流し、刺激しあい、仲間意識の醸成を図ることが可能である。

 

「諦めない人にのみ道は開かれる」のである。

防災意識の高揚

今年、区長になってみて色々考えた。

区長にはいろいろな雑用があるが、もっとも大事な仕事って何だろう?

 

私が出した結論は「町民の安全」。

これは全てのベースなのだ。安全な時代が長く続いてこの感覚がマヒしている。

一人ひとり考えることも大事だが、誰かが全体を見て気配りする必要がある。

 

 

先日、地区自治振興会企画の防災訓練があった。町内の責任者としては事前に計画の中身は知らされていた。区長会での審議?もあった。しかし、実にお粗末なものだ。

地震の合図となるサイレンが鳴ったら、直ちに一次避難場所へ集合というもの。

 

各戸には避難マニュアルというものが今年の初めに配布された。そして、各区長には東京都が作った「東京防災」なる本が2、3か月前に配られていた。

(ちなみにこの本のkindle版は無料だ)

貴重な経験に基づく大事な手順・注意事項が網羅されている。今回の訓練?はそれらを全く無視して、ただ集合。付け足しは「避難経路を確認してもらう」。

 

このような訓練は町民の安全を守るものではなく、危険に陥れるようなものだ。

人間は訓練したことしかできない(それすらできない人ももちろんいるが)。誤ったことを教えればその通りにやってしまう。地震と共に家を飛び出してはだめなのだ。

 

でもそのような意見は全く通じない。訓練をやったという実績を残したいだけなのだ。

地区の責任者レベルがこういうマヒ状態にある。想定震度6強という想定は何の意味も持っていない。その時、どんなことが起こるのか想像もできないのだ。

 

全国各地で地震が発生し、その都度いろいろな問題が指摘される。つまりは他所の地震は他所のことで自分たちには関係ないのだ。だから教訓が生かされない。

 

当町はいち早く、そのような訓練には参加しないと表明した。そのことに対してクレームもつかない。

しかし、何もしないのはもったいない。私が始めた町内報に当町の計画を示し、サイレンを合図にマニュアルに沿った行動をとるよう指示し、集合の必要なしとした。地区の訓練とは真逆だ。

 

これだけでは不十分。サイレンを合図に自主防災組織のメンバーを一次避難場所に集合させ、当町内初の防災会議を開催した。これに先立ち一か月前に町民の防災意識を調べるアンケートを実施し、班長に回収してもらった。

 

防災会議の趣旨は、地震発生時の対応計画(これも今年作成して組織のメンバーには配布済み)の周知とメンバーの意識高揚だ。地震の原因とメカニズムを図で示し、溜まったひずみの解放は周期的に発生し、当地域も危険度は高いことなど、危機を煽る(認識してもらう)ことから始めた。

 

アンケートの結果もグラフで示して実態を知ってもらった。(プロジェクター大活躍)

町民の殆どが家具等の転倒防止や非常食の準備などしていない。地震など来るとは思ってないし、来ても自分は大丈夫と(無意識に)思っているのだ。ここから正さないと他所の二の舞だ。

 

今年は町内報に連載で地震特集を掲載し、意識高揚に努めたが、もちろんこのようなものの効果は知れている。でも続けることは無駄ではない。時には目先を変えて工夫することも大事だ。夏には消防署から係員を呼んで久々の消火訓練もやった。

 

各組織員への実効ある訓練をはじめやることは山積みだ。積み重ねるしかない。地震は防げなくても災害は最小化できる。これを信じてやるしかない。

 

手掛けて初めて分かるが、安全の確保は言葉でいうほど簡単でも楽でもない。ある意味、町民との根競べだ。会社にいた時ほどの強制力もない。

 

防災意識の高揚。自らが強く意識して、後は、焦らず、弛まずだ。

 

 

 

 

粗大ゴミ回収の日に思ったこと

先月、当地区の粗大ゴミ回収があった。

以前は電化製品や金属類が出せたので、結構な量があった。

しかし、これらが出せなくなってからは半分程度に減ってしまった。

現在は家具やプラスチック類、それに布団類だ。

 

それにしても不思議というか驚くのは布団や座布団類の多さだ。

毎回、同じくらいの量が出てくる。

田舎の家だから保管するスペースには事欠かず、ゆえにいつまでも見えないところで眠っていたのだろうと思う。

 

今回、80過ぎの元気なおじいさんが大量に掛け布団を出していた。他から出ているものとは違ってそれらが結構新しいのだ。

曰く「もうこんなものは使わない。重くって、寒くって」

最近、羽毛布団を買ったらしい。

「あれは軽くてとても暖かい。電気毛布が要らなくなった。もっと早く買えばよかった」

あっ、電気毛布も何枚か出ている。

 

そういう理由で出す人もいるのだ。もったいない話だ。

世の中には欲しい人も大勢いるはずだが、、マッチングしないのだ。

そう考えるとネットオークションというのは非常に良いシステムだ。要らなくなったものが他の必要な人に再利用してもらえる。環境にやさしいとシステムと言えるだろう。でも何でもというわけにはいかず、ネット利用者に限られるという難点はあるのだが。

 

ふと、我が家には使ってない羽毛布団があったことを思い出した。女房が欲しいと言って買ったのだが、しばらく使って止めてしまった。

理由は「軽すぎる」。世の中いろんな人がいるのだ。

で、押入れを探したらバキュームパックに入れてせんべい状態だった。

 

私が使うことにした。私も布団はある程度重くないとというタイプだと思っていた。

女房が買ったときに「俺はそんなもの要らないよ」と言ったような。

 

今? すこぶる快適。相当、冷え込んでも全く気にならない。暖かいのだ。

すでに使っている人が聞けば、「なんだ、今頃」って感じだろう。

 

人間て自分が本当は良く分かっていない動物なのかも(私だけ?)

 

そんなもの要らないって言っている人は結構、営業としてはねらい目なのかも。

それなりの戦術、戦略は必要だ。彼らは意外と頑固だから、、

 

 

久々のキス釣り、、に思うこと

数日前は雪で一面真っ白だったのがウソのよう。

予報通りに晴れて気温も上昇した。

 

一週間前の予報を信じて県外の友人と釣りに行く約束をしていた。

釣り場は双方の中間地点。この時期になるとキスが釣れる場所はここしかない。

 

車を駐車場に止めて、小型の折り畳み自転車を降ろして、クーラーボックスと竿ケースを担ぐ。そこから10数分自転車をこぐ。朝7時の気温はまだ5度だ。5時半に起きた時は真っ暗で出かけるときはもっと寒かったはず。しかし、好きなことをやる時は不思議と寒さは感じない。釣りをしない人はきっとあきれるだろう。

 

さて、現場に着く。竿を継いで、ライン(糸)を通し、錘を付けてちょい投げして糸を湿らす。自作の仕掛けに餌を付け、エイッと100mほどキャスティングする。腰痛の回復からあまり時間がたっていないので無理は出来ない。

そして、少しずつ巻き上げる。海底の変化をラインを通して感じながら。

 

ブルッと竿全体が震える。そしてもう一度。間違いない。掛かってくれた。久し振りの感触。しかも、小さくない。待たずに巻き上げる。やがて水面から姿を見せる。一投目から良い型だ。連続8投ハズレなし。友と共に喜びを分かち合う。最高の釣り日和。

 

興味ない人にはなんのこっちゃとか、単純だなって感じかも。それでもいいのだ。

 

今年は忙しかった。何度も誘いを断らねばならなかった。大きな仕事を一つ終えて解放感にひたりながら、真っ青な広い海に向かって、仕掛けを投げ込みしばし魚と戯れる。こういう世界を持てることは一つの幸せだと思う。

 

今日の連れとは昨年の秋に釣り場で紹介されて釣り友になった。還暦を過ぎて趣味を通して友ができる。これも幸せなことだ。別々に釣りに行ってもLINEで釣果の報告。自慢の結果は写真を貼り付けて。

 

人は日々、いろいろな問題、課題を抱えて生きている。辛くて逃げたいとか、苦しみがなくなったらどれだけ楽かなどと妄想する。でもこれらがなくなったら生きる意味すらなくなるのではないだろうか。生きているというのはこういうものとセットなのだ。

 

しかし、こういうものに押しつぶされてしまっては元も子もない。ここに生きる知恵というものが必要になる。息抜きや休息は不可欠だ。自分に合った何かを見つけることが必要だ。他人は与えてくれない。くれても役立つとは限らない。

 

この時、人の目など気にしてはならない。自分が単純に楽しめるもので良いのだ。それが一番なのだ。

 

私は欲どうしいので実益のあるものを選んでしまった。この手は悪くない。

キスの天ぷらや昆布締めなどは普通の人は食べる機会は少ないと思う。実に旨いのだ。釣り人の特権だ。

ついでにもう一つ。冬場のキスは特に美味しいのだ。

プロジェクターとスクリーンをゲット!

区長になるといろいろな会議を主催する機会がある。

 

地域のことだけに場所などが話題になることも多い。田舎なので農業に関する不具合個所の話になることも少なくない。これまでは言葉だけの説明で、話題に直接関係しない人にとってはまるで分らないということが多かった。

 

それ以外にも言葉だけでは伝えることが困難なことは多い。例えば、公園の遊具の不具合状況とか、その他の危険の状況の度合いなどいろいろある。

 

正確な場所や状況を伝えるには画像が良いのだが、いちいち写真を撮って印刷して資料として配布するのも結構面倒なのだ。

 

そんな時に、大学のOB会の役員会にある人が、知人が要らなくなったのでもらったと言ってスクリーン(吊下げ型)とプロジェクターを持ってきた。その日は役員会で写真好きな人が皆に披露したいというので使うことにしたとのこと。その後、個人的には使う予定はないというので早速借りることにした。

 

すこぶる評判が良いのだ。当たり前だ。今まで感じていたが言えなかっただけで皆、言葉の説明では分かっていなかったのだ。

 

ただ、60インチのスクリーンは軽くて持ち運びには便利だが、ちょっと小さいのだ。そこでお得意のオークション検索。80インチサイズの自立型が出ていた。締め切りまでに9時間近くもあったがとりあえず入札しておいた。こういうものは締め切り間際になるとどんどん高くなる。ところがそのまま落札してしまった。お値段3100円也。ちょーお買い得ということに相成った。

 

借りたプロジェクターはいずれ返さねばならないので、次はこちらを探した。結構出ているのだ。当時の定価で45万円というのをこちらも運良く2万円以下で落札した。

 

区長をやめたら要らなくなるのかもしれないが、使い道はありそうだ。

早速、先のOB会の役員会の忘年会で使ってみた。今年一年の活動をFBを使って振り返った。パソコンでなくてもiPadiPhoneと直接つなぐこともできるので、すこぶる使い勝手が良い。

 

本当に要らなくなったら今度はオークションで捌いてみるのという手もある。

とりあえずは活用できる範囲を広げていこうと思っている。