おっさんブログ

60代おっさんの興味本位をつづります

通信制大学のすすめ

経済環境の悪化に伴い、子供に大学進学を諦めさせるケースは今後増えるのではないかと危惧する。たとえ子供が優秀でやる気があってもである。

実にもったいない話である。

世に通信制大学というものが存在することを知っているのであろうか?

 

戦後すぐに、まだ多くの人が貧しくて、また地方在住でとても都会の通学制の大学には行けないが、学習意欲の高い人たちの為に法制化された正規の学校教育なのである。

多くの教育熱心な方々の大変な努力の賜物であろうと察しが付く。

 

こういうことはもっと世に知られて良いはずであるが、高校の先生が経済的な余裕のない家庭にこういった提案をしたという話はあまり聞いたことがない。

子供の数が減ってきて、大学間の学生の取り合いが背景にあるのかも知れない。

 

今また、よく似た状況が現出しつつあると言えるのではないだろうか?

ならばこの通信制の大学教育をもっともっと積極的に活用すべきではなかろうか。通信制であるが故のメリットもデメリットももちろんある。

 

最大のメリットは学費である。そして、基本的に時間的な制約を受けないから働きながら、つまり学費を稼いで生活しながら勉強ができるのである。経済学でいうところの opportunity cost 的にも利はあるのだ。

もちろん楽ではない。家からたっぷり仕送りを受けて、勉強よりも学生生活を楽しもうと考えているなら話は全く別だ。でも苦学のメリットは代えがたいものがある。

 

しっかり学べは大学の卒業単位は4年でしっかりと取ることが出来る。18歳で入学して22歳で卒業していく若者もたくさんいるのだ。

 

そして、地方にいても首都圏の有名大学の学位を得ることが出来るのだ。

 

私が勧めるのはその素晴らしさを知っているからだ。私は50代半ばで慶應義塾通信制へ入学した。18歳から70歳半ばぐらいまでの人たちが一生懸命学んでいるのである。その真剣さが伝わり、刺激を受ける。同じ年代の若者が集う通学制にもメリットはあろうがそれに決して引けを取るものではない。年配の学生から学べることも大きなメリットだ。

 

私の時代は大学進学率20%。別に行きたいとも思わなかった。行かなくても不都合もなく、経済状況が許さないもの皆似ていて不満もなかった。しかし、この点は今は少し異なるだろう。日本だけでなく世界の国々(アジアの国でも)が高学歴化している中で、そして、国際化が進む中でやる気も能力もある人が、経済的理由だけで大学教育を諦めるのは国家としての損失である。

 

先ずは世の中の制度を知ってもらいたい。世の中を二者択一で生きねばならないなんて実につまらない。社会に出てからもそんな単純さでは成功はおぼつかない。

 

諦めている人に知ってほしい。そんな人が身近にいる人にも知ってほしい。高校の先生にはもっとよく知って、積極的に子供の将来に役立ててほしい、と願う次第である。

 

 

iPhoneの電池交換やってみた

当然ながらスマホも長く使えば電池の消耗が早くなる。

私の場合は、中古のiPhoneをオークションで入手するので交換時期が早く来る。

二、三代古いモデルでも5Sクラスになると機能そのものは全く問題ないので、この方が安上がりだ。

更に、安いので同じ機種を予備(あっ、という時の為に)として保有することも可能。

以前みたいに新機種を追うようなことはもうしない。

これにMVNOの格安SIMをいれて5分間かけ放題プランにすれば十分だ。

 

前置きが長くなったが、以前から多くの人が自分で電池交換をやっているのは知っていた。

調べてみれば工具付きで電池も安く、紹介されている方法も分かりやすく簡単だ。

早速、アマゾンで入手して初トライ。

 

ちょっと力のいる部分が二か所ある。ここさえクリアすれば女性、子供でも可能だ。

最初は吸盤を張り付けてディスプレイを起こす部分だ。

でも一気にすべてを外すわけではなく、少し引っ張ってケースとの間に隙間ができたら、すかさず付属のヘラを差し込めば後は何とかなる。

 

難関は電池を外す部分だ。強力な両面テープで張り付けてある。ここまで強いテープは全く必要ないのに、、とぶつぶつ言いながら少しずつはがしていくしかない。

この部分はヘラを使いながら、時にカッターナイフで粘着テープをカットしながら、最終的には二本の指を使って力で剥がし切る。

(次回からはテープがへたってこんな苦労は必要ないはず。初回だけ頑張れ!)

取った後の電池はかような姿に。

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後は手順通りにコネクターを五か所と抑えの金属板をネジを緩めて外すだけ。

 

戻すときに大事なのはコネクターをしっかり押さえてキチンと接続させること。

私はここを急いで、組み上げてみたらディスプレイに変な模様が出て、かつ、どこを触ってもアイコンが反応しなかった。

ここで、失敗!とか故障!とか壊れた!!などと早合点しないで、最初から一つずつ確認していけば、必ず自分の粗相に巡り合えるはずです。

 

難しいところは何もないので(ちょっと力のヘルプは要るかも)電池の消耗が激しくなったくらいで、新しい機種に変えようなんて思う必要はありません。変えなきゃならないのは電池だけです。

 

スマートホンは経済的に使ってこそ、スマート(賢い)なのです。ホンと。

 

 

小さな古時計、復活!

我が家の小屋に柱時計が掛かっていた。

かれこれ30年は故障したまま、ほこりをかぶっていた。

ある時、女房が「これ直らない?」ときた。古いものが好きなのだ。

大概のものは直してしまうので「やってみるか」と答えた。

 

メカなので何とかなるかと思ったが何ともならない。

動き出すのだが、しばらくすると止まってしまう。

近くの時計屋に持ち込んで「何が悪い?」

主いわく「軸に注油してみな」

「ところで、修理をお願いするといくら掛かる?」

「5,000円だな」

何とも憎い根付けだ。それ以上高いと直らなければ捨ててしまう。

その値段なら、自分でだめなら直してもらうか、という気になる。

 

で、持って帰って丁寧に注油した。少し長く動くようになったがやはりだめ。

結局、女房が「それで直るんだったら頼んで」というので再度持ち込んだ。

 

主は今度はじっくり中を覗いて、ちょっと唸った感じがした。

「一週間から10日ほど掛かるよ」とのこと。

 

三週間掛かっても何の連絡もなし。

女房に「あれ、どうなってる?」と言われて思い出し、電話を掛けた。

「三日前にやっと直って、今、動作確認中。急ぐなら取りに来てもいいよ」とのこと。

 

取りに行ったら、柱に掛かっていてちゃんと動いていた。

「あちこちの軸がすり減っていたので、全部分解して、金属を盛った」とのこと。

「5,000円でいい?」

「約束だから。消費税は頂くよ。大サービスだ。ははは」

 

メカ時計なのに全くと言っていいほど狂わない。

柱時計独特のあのボーン、ボーンという音でクオーツの腕時計を見るとぴたりとあっている。少々の狂いは当たり前と思っていたのは間違いなのだ。

これがプロの仕事なのだろう。

「一年は保証するよ。でも10年は動くだろう、いや50年は持つかも」

言われても自然と納得する。

その時計がこれ。古さがにじみ出ている?

女房は満足。

でも、定期的にねじを巻く仕事が、、、

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英検1級合格!

またまた間が空いてしまった。

 

前回は区長になって忙しくなったからという言い訳だった。

それは今も続いているのだが、今回は英検の二次試験対策が入ってきた。それで特別、、ということでご容赦願いたい。

 

とにかく、私にとっては快挙なのだ。60歳半ばで英検1級に合格したのだ。

苦労したのは二次試験(もっともその前ずっと一次試験で苦労していたのだが)。

読んだり、聞いたりすることは一人でも可能なのだが、ド田舎に住んでいると外人と話す機会はまずない。ましてや、5つの中からテーマを選んで1分間でスピーチを構成して、2分間で表現なんてのは当初、不可能に近いとマジ思ったものだ。

こういう時に高齢者のあきらめの悪さが役に立つのだ。とにかくやってみようと。何も失うものはないのだから。

 

一次合格の3週間ほど後にある最初の二次試験は場慣れが目的だった。とは言え十分緊張はする。面接の試験官は意外!女性二人だった。何も言えずに終わったが結果は50点で不合格。さして、ショックはなかった。こういう感じなのだなという収穫のみ。

 

次は構成と内容についてある程度その場で作って言える練習をしたつもりだ。半々の確率で行けるかなと思いつつその日を迎えた。当地からだと京都が一番近い。

ビックリした。さあそろそろ本題に入ろうかなと思ったときに、タイムキーパーの人が「はい終わりです」。えっ!まだ3分の一も話てないのに。

 

この時、初めて時間の短さを認識した。スピーチの中身を重視し過ぎた。そこそこ内容がなければ話にならない。これは当たり前なのだが、これはルールのある試験なのだ。一人でもくもくやっていると知っているのに認識が薄くなるのだ。結果は59点。このような不出来でも合格点にあと1点なのだ。

後で思うようになったのは、これはチャレンジを諦めさせないための勇気づけ法なのではないかと。

点数が何点であろうと基準点以下は不合格なのだから、こういう配慮はありかと。

 

次回のために準備を始めた。ここで凡ミス発生。受験申請をしようとネットを開いたら3日前に締め切りが、、。一次免除だと一次を意識しなくなる。でも申請時期は一次と同じなのだ。チャンスが残り一回になってしまった。

 

そして、今回。テーマは絞った。やはり、即興でスピーチを組み立てるにいくつかのそこそこ得意とする分野を持たないとキツイ。それを暗記するぐらいにして知識と長さを身につけるよう、特に直前1週間は集中した。

 

さて当日。部屋の外側に3つ並んだ椅子を、前の人が終わるたびに順に移動していき、さあ次が自分の入室番という時に「今から先生方の休憩に入ります。しばらくお待ちください」。緊張が最高に高まったときに、何か「すっと抜ける感じ」が。これは初めてではない。初回もそうだったのだ。なんだかいやな雰囲気が。隣に座って待っていた若い人が「直前ってキツいっすね」と同情してくれた。

 

自己紹介などのウォーミングアップが終わってしていよいよカードをひっくり返す。

あれっ、これまでと全く傾向が違うなと思って少し焦る。5つ目にかろうじてビジネスというキーワードが含まれていた。再度、他のトピックを眺めるが自分が意見をまとめられるようなものはやはりない。時間が迫る。腹をくくって最後のテーマを選び、強引に賛成の根拠を作った。再考する時間などは残っていない。

 

感覚的には1分半ほどのスピーチにしかならなかったし、内容が十分とは決して言えないが、とにかく形にだけはまとめた。

根拠に例を入れる時間なども全くなかった。ここは減点個所と認識した。そしたら、そう思う根拠となる例を示せと来た。これも強引に自分の経験からこういうことがあり、それを改善した結果、事態は良い方向に向かった。と説明。

実は、試験官の一人がやや高齢で、声が小さく、発音も聞き取りにくかった。だから聞き直したけれども、正直、正確に質問を理解したか自信がなかった。これが次の質問も同じだったので、終わった後も全くスッキリしなかった。

 

それでも合格した。高齢者優遇措置なんてあるのかしら?

そして、2回目と3回目の間に合格基準が変更になった。それまでは60点が合格ラインだったのが、どうやら70%になったのだ。それも旧基準で70点ではだめで、71点以上ないとダメのようだ。私はこれをかろうじて上回った。

 

じゃ、英語は相当できるのかって普通は思う。しかし、合格して分かるのは1級というレベルは相当できるレベルのひとばかりではないということ。スラスラ、ペラペラにはほど遠くても受かることはできるということ。もちろん高得点で合格した人の中には凄い人たちもいるに違いない。

昔、誰かが書いていた。ここはプロ(黒帯)への入り口に過ぎない。武道と同じように級の上には(公的な試験はないが)、段レベルの実力者がわんさといるのだ。

 

今はそんなことはどうでも良い。とりあえず自分にとって難関であった英検1級というものに、基準ギリギリであっても合格できたということ。

そして、若い人なら(例え60歳を超えていても)誰でも頑張ればここまでは来れるのだと言ってあげられるようになったということだ。

 

 

 

 

iPhoneから卒業? その3

 

結論として、iPhoneから卒業出来なかったようだ。


しばらく大型画面のzenfone2を使ったが、やはり、本体の大きさが時々邪魔になる。
でもwifiルーターを携帯せずにネットに繋がるのは捨てがたい。

そこで取った策は、(SEも出てきたが、高性能が欲しい訳ではないので、)
ドコモのiPhone5sの中古をオークションで入手し、格安SIMをこちらに差し替えた。
OCNのものはドコモと相性が良いので全く問題ない。

現在の使用法は、家ではソフトバンクiPhone5、外ではドコモのiPhone5sと使い分けている。
データが共有できるのでこの点もありがたい。

かみさん曰く、ドコモに一本化したらもっといいんじゃ?
しかし、外では保護の為の手帳型のケースは必須だが、いちいち開くのも面倒だ、かつ、厚みも増す。

家での使用が多いので、蓋のないケースが使い勝手が良いのだ。

従って、現在zenfone2はお蔵入り中だ。
電話はこれまで通りガラケーのかけ放題のまま。

4インチがやはりしっくりくる。手のひらにも、ズボンのポケットなどにも。
 
当面はこのスタイルが続くことになりそうだ。

区長という仕事

また時間が開いてしまった。


言い訳すると、区長の役割が回ってきて急に忙しくなったのだ。

それもすんなりきた訳ではなく、通算10年以上も勤めた前任者の身勝手な引退に伴うものだったので、のっけからもめたのだ。


やってもらっていて言うのも何だが、こういうものは長くやるものではないし、やらせるものでもないと強く感じた次第である。


やってもらっている間は周りの人間は楽なのだがやがて弊害も出てくるのだ。

長くやっている人は当然、いろんなことに詳しくなり、周りの人はその人に対抗出来ないので、任せっきりにして、自ら考えることを止めてしまうのだ。


定期的に交代があるから物事を見る目も変わり、新たな改善も成されるのだが、交代がないと正に十年一日なのだ。

これまでの問題を総括して、民主化、近代化、世代交代を課題として設定した。
そして、まず規約作りに着手した。このような組織に運営のルールを明文化したものがなかったのだ。
もちろん、これまでにも作ろうという動きはあったようだが、あると都合が悪い人達の反対で成就しなかったのだ。


また、このIT全盛の時代に手書き、転記などの作業が何の疑問も持たれず平然と続けられている。
そして、情報共有化という言葉は口にされるものの、実体は何も無い。


そこで各種の作業をマクロを組んで自動化したり、町のホームページを作って決め事や区の動きが分かるようにしたり、FBのページを設けて写真で様子が分かるようにした。

 

少しはITに明るい世代への橋渡しがやりやすくなるのではと期待している。

もちろん現状では、PCやスマホが使えない人や高齢者も多いので、紙ベースのものも回覧板で回したり、以前から設置してあった掲示板もリニューアルして、より風通しが良くなるよういろいろ手を打った。

 

やっと少し手が空いてきた。後は定常的な雑務を淡々とこなして、しばらくは様子を見ようと思う。

写真用紙の給紙トラブル、解決?

昨年、孫が一度に二人もできて、彼らの成長が楽しみな日々である。

(これぞ「おっさんブログ」の真骨頂?)

 

しかし、二人共外孫で会える機会は極端に少ない。

そこで、子供達やその嫁は、グーグルドライブにせっせと孫の写真やビデオをアップしてくれる。

 

うちの嫁(つまりは彼らのばあさん)はそれが嬉しくてせっせと物を贈っている。

そして、こちらに回ってくる仕事は写真の印刷だ。

 

どうってことない作業なのだが、プリンターにとってはそうでもないらしい。

昨年買ったばかりのプリンターだが、最初は機嫌よく印刷してくれたのに

最近は給紙でトラブる。「用紙がありません」と表示されて停止するのだ。

 

用紙はたっぷり入れてある。最初のうちは何とか給紙位置を変えたり、トレイの出し入れを繰り返して何とか働いてくれたのだが。最近はごまかしが効かなくなった。

 

あらゆることを試したが、一瞬良くなっても直ぐにだめになる。

A4の普通紙は全く問題ないのだ。だから買い換える気は起きないのだが、

ある日、とうとう我慢ならずアマゾンで調べて写真専用のプリンターをポチる寸前までいった。通常はここまで行ったら迷うことなくポチる。(年間100回以上やっていると習慣でポチってしまう。)

 

この日はどういうわけか明日まで待とうという気になった。

翌日、たまたまA4用紙をまとめて印刷する用事ができた。

印刷したついでと思い、溜まっていたリクエストの写真を印刷してみたら全く問題なくできた。30枚近くをノントラブルで(普通は驚くに値しないことだが)。

 

その後、数回は日を変えても問題なく印刷できるのだが、やがてまた再現する。

最近は、トラブるたびにA4普通紙での印刷を挟むことにしている。

(そんな作業のない場合は、白紙の頁を5枚ほど印刷指示しても良いかもしれない)

 

調べてみると給紙ローラーのクリーニングが効果的とあるのだが、これはやりすぎるとローラーに良くないとのこと。

 

ついでだが、これまではアマゾンで100枚入りの用紙を買っていたのだが、消費がすごすぎるので、最近、使う用紙を変更した。規格上、質は少し劣るのだが、

400枚入りで値段は殆ど同じ。印刷後を比較しても素人目には区別ができない。

 

もう一つ。写真印刷というのは相当インクを消費すると思っていたのだが、それは単なる思い込みだった。もっぱらL版のせいかかなりの枚数印刷できる。

 

加えて、使っているのは純正品の約10分の1の価格の代替品。これを使うことで故障してもメーカーの保証は効かないことになるのだが、2回買えば、プリンター1台分のコスト節約になるので、なんら苦にはならない。

 

思えば、若いころは、写真印刷なんてものはコストを気にしながら厳選したもののみに絞ってやっていたのだが、ここまでインクや用紙が安くなると全く気にならない。

良いことか悪いことかは別にして、やはり、「隔世の感」と書きたくなる。