おっさんブログ

60代おっさんの興味本位をつづります

我が部屋の省エネ

かつて、スマートホームの動向という課題に答えるため、ネットの情報だけでは心もとなくモデルハウスの展示場へ出かけた。

 

最新の太陽光発電やコントロール装置、省エネふんだんの電気機器、セキュリティシステムなど目を見張るものが多かったが、一番感心したのは家そのものの断熱対策だ。これがだめだと各種の機器がいくら最先端でも効果は半減だ。

 

ある家は日当たりのよい南側が吹き抜けになっており、見掛けはよかったが冷暖房の効果に疑問があった。それを見透かしたように説明員は特殊な計測器で天井付近、窓、床のレベルの温度を測り、その差がわずかであることを示し、断熱性の優良性を誇った。夏の光が窓から強く射していても、ガラスも床もほとんど熱くないのである。

 

担当のセールストークが素晴らしかった。自分は建てないが、人に勧めるならここ以外には考えられないと思うほどだった。

 

翻って、我が家は築40年を超える。自分が使っていた部屋は二階の東に位置した10畳間で、北、東、南が外気と接している。したがって、夏は室内が36度くらいになり、冬は外気プラス3度と件の物件とは比べようもなくロスが大きい。

 

夏は定格200ボルトのエアコンがフル運転で、冬はこれだけでは不十分でファンヒーターがフル稼働であった。

 

そこに子供たちの結婚話が持ち上がり、一部屋は確保してあるものの、二組の夫婦が泊まりにくるとなるともう一部屋、化粧直しが必要になった。

 

対象は子供達が巣立ってから長く使っていなかった隣の6畳間。一番目立つのが壁面の劣化。土壁下地の化粧壁。これを塗り替えることなく(高くつくので)、その上から下張りを張って、高級?壁紙で仕上げ。それまで気になっていた壁と柱の隙間もきっちり埋められた。

 

この時、天井用の壁紙(天井紙?)があることを知り、天井も現状のものをそのままにして上から下張り板を張り、この紙を貼ってもらった。一見しただけでは本物の天井板と区別ができないほど出来がいい。

 

エアコンも20年前に付けたものがそのままだった。十分に機能するのだ。でも省エネの観点からはすこぶる効率が悪いはずなので、これも交換した。

 

でも、子供達が帰ってきてこの部屋を使うのは多くて年に2、3度。二組の帰るタイミング異なると、その隣の8畳間がより広くて快適なため、もっぱらそちらの稼働率が高くなり、こちらの6畳は更に使用頻度が低くなる。

 

鈍感ながら、ある日、ふと思いついた。

10畳の部屋からこちらへ移動しようと。大半は元の部屋に置いたまま、軽量な机とパソコンと少量の書籍と書類と共に。

 

この移動による省エネ効果は大なるものがある(はずだ)。

3部屋並びの中央に位置するため、かつての3面外気接触から南側1面に。

化粧直しで室内周囲4面と天井からの熱漏れが大きく減少し断熱効果がアップ。

そして、10→6畳間で容積が大幅ダウン。当然、小さいエアコンでも効きが良い。

 

後日、隣にあった10畳用大型LED照明とこちらの古い蛍光灯を手前で入れ替えた。

明るすぎるので省エネモードで使用している。

 

エコキュートと電気料のプラン変更で安くなった光熱費の大半はこの効果かしら?

 

 

エコキュートはお得!?

一時賑やかだった、エコキュートとかオール電化という名前は原発停止後あまり聞かれなくなった。

電気エネルギーを主体的に使うのだから当然といえば当然だ。

 

しかし、このネーミングいかにも売り手視点で付けられたもののように感じられて、消費者が直ぐに飛びつきたくなるようなものではないと思うのだが、如何だろうか。

 

何か初期投資が大きそうで、本当にメリットあるの?となりそうである。

 

しかし、我が家は昨年の4月に導入した。

きっかけは一本の電話。家のかみさん、あらゆる勧誘を断るには至極長けているのだが、この時ばかりは何故かうまく断れなかったようで

「今度説明に来るようだからあなた聞いておいてね」ときた。

 

5分でお引取り願おうと、きめ文句を考えて待っていたのだが、

最初の説明というか質問が

「電気料金の仕組みはご存知ですか?」だった。「えっ?」

この部分は聞いて何の損もないので聞いてみることにした。聞いてわかったことは、賢く使うと結構、電気料は安く押さえられそうということだった。

 

それまでは、従量電灯というプランで基本料金を含めると、どの時間帯でも大体1kwhあたり25円だったのが、プランによっては夜の10時から朝の8時まで、8円強と3分の1になる。

 

この部分を最大限活用するのがエコキュートということになる。

 

この業者さんの最大の売りは、初期投資無しで導入が可能という点である。安くなった電気料から必要な費用を差し引く(業者の売上げ)、さらに残った分が家庭のメリットということになる。各家庭で状況は異なるが、我が家の場合、確実にメリットが出る見積もりとなった。

 

我が家は給湯に灯油ボイラーを使っていた。お風呂や台所でお湯を使うたびにボイラーが起動して灯油を消費する。冬場は外気も水温も低いため消費は多くなる。

この部分を安い夜間電力で沸かして溜めておいて、日中に使うというシステムだ。

 

これを知ったら、導入を避ける理由がない。しかし、業者さんの言うとおりに導入するのも能がない。メリットの大半は吸い上げられてしまうのだ。

 

見積もりを良く見ると、給湯器の価格はほぼカタログの定価。工事費は無料というがまだ高い。そして実質、分割払いによる金利は期間トータルで10万円を超える。そして、何か不幸があって、支払い不能になったときも別途掛ける生命保険から出るので心配は要らないという。何のことはないそれらもこちらのメリットから差し引かれるのだ。

 

いろいろ比較検討の上、自分で家電量販店と交渉して選択することにした。結果、初期投資は要るものの、設備は20万円以上安くなり、工事もサービスで、大幅に安く導入できた。使用10年の灯油ボイラーも撤去された。(配達を伴う高い灯油代も減った)

 

春、夏、秋と使用して明らかな効果が出ている。そして、冬場に来て一段と効果は大きくなった。導入は正解だったと思う。

 

今になってネットを調べているが、メリットは大きいものの、導入には慎重を期さないと問題もあるようである。

深夜、設備が稼動するため設置場所によっては、機器が発する低周波の騒音が近所迷惑になってトラブったり、貯湯タンクの選択を誤ると日中お湯が不足して高い料金帯で沸かすことになって逆に高くなったり、停電時まったく熱源がなくなったりとかだ。

機器が複雑で故障が多いと書かれているものもある。

 

でも、条件さえ合えば光熱費を大きく削減できる有力な手段であることは間違いない。

 ちなみに我が家は給湯だけでなく、電気を最も消費する熱関係をできるだけ夜10時から朝8時の間に済ませるようにしている。たとえば、炊飯、パン焼き、食洗機、湯沸し、除湿機(浴室と衣類の乾燥に2台使用)ついでに洗濯など。

 

日中の4分の1、中間帯の3分の1の電気料で済むというのは工夫次第で安くできるということで、その余地があるのが最大のメリットだ。

 

安倍さんの「庶民」感覚?

NHKラジオテキストの実践ビジネス英語1月号に

be born with a silver spoon in one's mouth

(裕福な家に生まれる、高貴な家柄の生まれである)

という言葉が紹介されていた。

 

古い表現で、文字通りには「銀のスプーンを口にくわえて生まれる」であるが、裕福な家に生まれ、教育や環境などすべての面において「何不自由なく育つこと」の意味合いらしい。

 

それを見た後、直ぐに、The Japan Times On Sunday でこの表現が実際に使われている記事を見つけた。

He is ... from a heredity politician who was born with a silver spoon in his mouth.

彼とは他ならぬ安倍首相のことである。

 

彼が首相になってから平均賃金が下がっているが、そのことを説明しようとして使った失言がその背景にある。

彼はパートタイムで働く普通の主婦の給与を月25万円と何の疑問もなく言ってのけたようだ。それが余りに実態とかけ離れているため火がついた。

 

厚生労働省の最新の調査では、5人以上の企業のパートタイマーの平均賃金は96,638円との事。

 

何も今更驚くことではない。裕福な家庭に生まれて、何不自由なく育っ手、一度たりとも生活に窮したことのない人は、一般庶民が生活していくのにいくら必要で、実際、いくら貰っているなんて事は意識の何処にもないのだから。

 

こういう人がアベノミクスで経済活性化といっても、イメージの中に正しい庶民に対する認識が含まれていなければ、効果的な施策になるはずがない。

 

でもこういう人が首相になれる国が日本なのである。

(かつて、一ヶ月の小遣いが1500万円という首相もいたではないか)

何故か? 総じて国民のレベルがそうだからであろう。

 

地方では安倍さんはだめだといっている多くの人が選挙になると地元の自民党議員に何の疑問の持たずに投票する。その一票が安倍さんを首相に仕上げているとはつゆほども考えずにである。

 

気がかりなのは投票年齢が低下しても、この傾向は変わらず、意識の低い有権者の数が増えるだけではないかということである。

 

国民の政治や経済に関する知識や意識のレベルが変わらない限り、状況の好転は期待できない。努力しないのは、多くの国民が現状にそれほど強い不満は感じていないからと取られてもこれは仕方のないことではないか。

 

安倍さんは、自分が景気を良くして、職が増えたからパートに出る人も増えて、その結果、平均賃金が計算上下がっただけだと説明したかったようだ。

その説明に使った数字が上記のもので、ちなみに一家の主は月50万と認識しているようだ。(二人で75万円だから収入は増えても平均は下がると、、)

 

こんな説明で国民は納得すると思っている? どこまで国民を、、、

いや、質問した議員ならこれで納得すると思ったのかも。

 

安倍さんの経済に対する現状認識の低さと、経済に関する知識の低さ、改善意欲の本気度の低さ(3低)を改めて知ることとなった "gaffe" (発音はギャフ)であった。

 

 

 

 

大人の「学びなおし」

東洋経済」1/16号に次のような問題提起があった。

書いた人は東大大学院の柳川教授だ。

私も強く感じていることなので一部を紹介したい。

 

「情報技術や人工知能の発達などによって、今後必要となる能力や人材が今までとは大きく異なってくる」

 

「問題なのは、その動きがかなり急速なことだ」

 

「必要な能力が急速に変化しているとすれば、すでに社会人として働いている現役世代であっても、それに対応した能力開発は避けられない」

 

「よって、各個人が主体的に行動を起こす必要がある。大人の『学び直し』が必要なのだ」

 

「『私は今さらそんなことはできない』という反応が返ってくることが多い」

 

「しかし、できないと開き直って、その後無事に過ごせるだろうか。いくつになっても『学び直し』を行い、できる範囲で新たな能力開発をしていくことは、いまや必要条件なのだ」

 

引用の羅列になって申しわけありません。

 

何の解説も必要ないと思う。恐らく、大方の人は同じように感じているのではないかと思う。

でも、一人でやるのは辛いし、やっていない人も周りには結構いるし、、何とかなるかも、、、とついつい自分を甘やかす。

 

しかし、これまでのように会社や社会に頼っていられる時代ではないと思う。

今、行動を起こさないと予想外に早く「貧困の罠」(同4/11号)に陥り、更には「下級老人」(同8/29号)への道をまっしぐらという事になりかねない。

 

脅すつもりは毛頭無いのだが、この提起は真剣に受けたほうが真に身のためだと思う。

 

「余計なお節介」と思われるのを覚悟の上で、「おっさん」はつぶやいてみた。

 

 

経済学の復習

正月早々にきたメールの中に、東洋経済オンラインからのものがあり、そこを開くと、『竹中平蔵氏「だから僕は歴史を学んできた」』というものがあった。

 

それを読んでいくと、「経済学の基本的な知識を国民が理解しているかによって、社会のパフォーマンスが違ってくる」というくだりがあった。

 

確かに。我が意を得たりに似た感覚を持った。

 

で、振り返ってみれば、経済学は学んだけれど果たしてそれを活かしているか、、

甚だ疑問である。そこで直ちに経済学の復習を思い立ったのである。

 

まず、試みたのは大学の「経済学」の教科書の読み返しである。これは教養課程のもので専門課程になると「経済原論」なるものが出てくる。

 

教養課程の入門書であるはずのものが、格調の方を重んじるかのような硬い表現で易しいことが難しく書いてある。まだ、経済原論の方が幾分表現がやさしい。

内容よりもこの文体の方が気になって、(例えば俺だったらこう書くのにといったふうに、)これは3日で止めることにした。

 

経済学の復習は止めるわけにいかないので、テキストを院で使った英語のものに切り替えた。こちらの方がはるかに分かりやすい。一般にテキストの英語は簡明だ。英字新聞なんかよりははるかに読みやすい。英語を得意としない私でもそう感じるのだから間違いない。最初は少しつっかえても段々速度は速くなる。分野によって使用される単語は限定されるからだ。

 

難点は日本の教科書に比べて平易に解説してあるためか分量がすこぶる多い。

先ほどの経済学が300頁弱、経済原論が約500頁。それに比べて院のテキストは900頁超。しかも書籍のサイズが1.7倍もある。読む量は3倍から5倍程度になる。

 

毎朝6時に起きて1章ずつ読んでいる。全部で34章あるが一か月あれば終わりそうだ。理解を深めるためには2、3回繰り返す必要はありそうだが。

英語力維持にもボケ防止にも役立ち一石三鳥といえるかも。

 

先日、例のオンライン英会話の授業中に、専攻は経済学だったと言ったら、相手の若い女の先生は突然 law of demand、 low of supply、 price ceiling、 price floor について説明してくれと言ってきた。何とか知っている知識で答えたら Oh, wonderful! だって。

 

ちなみにそれが最後の授業だった。その会社授業料が安いということで評判だったのだが、いきなり25%値上げしたからだ。8か月ほぼ毎日続けた。それなりに成果はあったと思う。もう潮時かと。

 

フィリピン人の女性の先生数十人に習ったが、皆、経済的には恵まれているとは感じられなかった。しかし、その殆どが努力家で才能にも恵まれていると感じた。世の中、やはり少し不公平のようだ。彼女たちの明るい笑顔が今も心に残る。

 

話が飛んだが、突然聞かれても答えられるように、そしていつでも経済学の知識や考え方を日常の問題解決に活用できるように努めたいと思う。

 

 

 

初釣り 2016

正月早々、初釣りに出かけた。

 

昨年、夏の終わりに10年振りに再開した遠投のキス釣りだが、こんな時期に行くのは初めてである。

理由は二つ、冬に釣れる魚ではないと長く思い込んでいたこと。そして、こんな寒い時期に寒風に吹かれてどこが楽しいと思っていたこと。

 

年末に行って確かに釣れた。そして、調べてみるとキスは冬でも釣れる魚とある。

更には、この時期のキスは「越冬キス」と呼ばれ味が良いという。

 

今年は例年になく以上に暖かい冬だ。真冬でも12、3度もあると防寒すれば何の苦もない。陽でも射せば動きのあるスポーツフィッシングだけに汗ばんでくる。

 

今回もまた釣れた。

私は「10匹ルール」を自分に課している。釣りは釣れるほど楽しいのだが、帰ってからの処理が面倒なのである。10匹で止めておけば我慢の範囲だからである。

20も30も釣って帰ると、処理している間に背中がバンバン張ってくる。楽しみを長く続けるための苦肉の策だ。

 

昔はたくさん釣るために一つの仕掛けに針を7本も付けて、全部針にに魚がついていると大いに喜んだものだし、また、釣り仲間とその数を競ったものだ。

(釣った魚は近所に配っていた。自分で始末した記憶が殆どない)

今は針は二本しか付けない。一度に7匹も釣れたら2投でルールオーバーで店じまいとなる。

 

今は出来るだけ遠くへ投げて大物を狙う釣りに切り替えている。

 

キスは20センチで良型と言われる。

18センチまではてんぷら用に処理する。つまり、うろこを取った後、頭と腹を処理する。それから骨を取る。

そこから23センチまでは頭を残して腹を処理する。骨は取らない。このサイズは塩焼き用だ。キスは硬骨魚で骨を取るのは骨が折れるからだ。

ここを超えると刺身用だ。特に昆布締めが美味しい。酒の肴にはたまらない。

 

でも、どんな食べ方をしてもこの魚は美味しい。かみさんもこの魚が好きで、それで釣りに行くことには全く反対しない。有難い魚だ。

 

揚げたてのキスの天ぷら、、絶品。皆さんにもぜひ賞味してほしい。

 

今年は久し振りに昆布締めサイズのキスを早めにと願っている。

2015年総括

ちょっとご無沙汰してしまった。

いろいろあって忙しかったけど、一番の理由は生来のずぼらだ。

 

兎に角、年頭だから昨年を振り返るところから始めようと思う。

 

最初の成果は、この歳で無事大学院を卒業できたことだろう。

2年間頑張ってMBAなるものを取得した。

取ったからってどうなるものでもない。これをどう活用するかがこれからの課題だ。

 

大学院で学ぶ過程で自分の英語力不足を痛感した。それで5月の初めからオンラインの英会話学習を始めた。

これは比較的まじめにやった。最初の6か月は一日も休まなかった。

その後もここまで2回のみだ。

 

この成果かどうか試しに受けた英検1級の一次試験に合格してしまった。

これは自分にとっては快挙だ。過去最高の合格基準点だったらしい。にもかかわらずクリアできたのだ。(単に運良かっただけかも。択一メインだから)

しかし、二次試験はこうはいかないだろう。スピーチテストで、最も不得意とするところだ。気が重い。

 

自分の努力と無関係なところでは、いわゆる Grandfather に昇格してしまった。8月に孫が、10月に孫娘が相次いで生まれた。

嬉しいことなのだが、慣れていないせいかちょっと複雑な気分。

(可愛いという気持ちだけは日に日に増大中)

 

もう一つ。今年10年振りに釣りを再開した。いわゆる投げ釣り。それもキス専門だ。他は釣れても皆捨てる(海に戻す)。

実は、東北への転勤を機に止めていた。道具は一式持って行ったのだが(なぜか津波が気になっていた)。当地に戻っての再開だ。

 

以前はキスのシーズンは5月から8月までと思っていた。事実、その前後はほとんど釣れなかった。ところが今年最初に行ったのは8月末。それからほとんど毎週行っているのだが釣れ止まない。

場所は限定されるのだが、釣り場で知り合った人は、昨年末に行って大物を釣ったという。自分の従来の感覚では「この時期、まずあり得ない」のだが、これは事実でまた人間の(自分の)思い込みのまずさを知らされた。自分の限られた経験ですべてを判断するなと。

 

この釣りは、いかに仕掛けを遠くへ投げることが出来るかで、釣れる魚の大きさが変わる要素がある。今年はここに一つの目標を設定した。

 

昨年の総括と言いながら、最後の部分が一番膨らんで、そこのみ今年の目標まで言及してしまった。(他に目標はないのか?と言われそう。あるよ

 

今年はもう少し、まめに更新して未熟な反省の機会を増やそうと思う。

 

追記

前回、書くのを忘れていた。このつたないブログを始めたのも昨年のことだった。

最近、気が付いた。PVが想像以上に多いのだ。心して書かねば。